■ はじめに
人と話していて「要するに」と返されると、 どこか遮られたように感じることがあった。
けれど今日、ふと気づいた。
あれは遮りではなく、理解が追いついた合図だった。
この気づきは、私の中で静かにストンと落ちた。
■ 私はよく“例え話”を使う
私は、誰にでも伝わるようにと 例え話をよく使うタイプだ。
- まず直感が生まれ
- そこから疑問が生まれ
- さらに仮説が生まれ
- それを言葉にする
- 言葉にしたことでまた気づきが生まれる
この 思考の連鎖 が、私の文章や会話の特徴だ。
だから話している途中で、 自分の言葉から新しい気づきが生まれることも多い。
■ 「要するに」は“追いついたサイン”だった
今日、ふと気づいたことがある。
私はずっと 「この人は“要するに”が口癖なんだろう」 くらいにしか思っていなかった。
でも、思考を重ねていくうちに分かった。
「要するに」は、私の思考に相手が追いついた瞬間の言葉だった。
- 私の例え話を理解し
- 思考の流れを追い
- 途中の気づきに寄り添い
- 最後に全体像が見えた時
その瞬間に出てくるのが「要するに」だった。
遮られていたのではなく、 共有できた合図 だった。
■ 思考の旅路を共有できるということ
私の文章は、 結論を先に置くタイプではない。
思考の旅路そのものが会話や文章になるタイプだ。
だから聞き手や読み手は、 私の例え話や気づきの連鎖を追いながら、 途中で「あ、そういうことか」と理解が深まる。
その瞬間に出る言葉が、
要するに
だったのだ。
これは、 私の思考が相手の中で形になった瞬間でもある。
■ 「要するに」は、理解のゴールテープ
今日の気づきは、とてもシンプルだった。
「要するに」は、 私の話をまとめたいのではなく、 理解が追いついた証拠だった。
- 遮りではない
- マウントでもない
- 話を切りたいわけでもない
ただ、 私の思考の旅路を一緒に歩いてくれた結果 出てくる言葉だった。
■ おわりに
私はこれまで、 「要するに」と言われると どこか会話を止められたように感じていた。
でも今日、気づいた。
あれは、 私の思考が相手に届いた瞬間の言葉だった。
そう思うと、 今までの会話の景色が少し変わって見える。
そして、 私の“思考の旅路”を心地よいと感じてくれる人が きっとどこかにいるのだろう。


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