50歳を目前にして、自分の人生を振り返る時間が増えた。 仕事を辞めて、転職して、また辞めて、無職になって、家族と暮らしながら地方で細々と働いて。 氷河期世代らしいと言えばらしいし、ただの迷走と言われればそれまでだ。
そんな私には、79歳になる友人がいる。 ここではTさんとしておこう。私の父より年上だ。 現役時代は誰もが驚くような年収を稼ぎ、いまでも頭の回転が速い。 人生経験も桁違いで、普通なら私なんか相手にされないような人だ。
なのに、彼はなぜか私の話を「もっと聞きたい」と言う。 多いときは毎週のように会いたがり、温泉旅行にも三度連れて行ってくれた。 最初は「もの好きだな」と思っていた。 でも、ある日ふと気づいた。
もしかして、私の話には何か“価値”があるのか?
■ 若い頃は、自分に価値なんてないと思っていた
正直に言うと、10台、20代の頃の私は未熟だった。 家庭環境も残念な感じでバブル期の恩恵もなかった、そして就職氷河期の真っ只中 「就職できれば勝ち組」みたいな空気の中で、 自分の人生を選ぶ余裕なんてなかった。
働き始めても、仕事はきつくて、給料は安くて、 「これが大人になるってことか」と思いながら、 ただ毎日をこなしていた。
転職もした。 逃げたこともある。 後ろめたさもあった。 家族を持ってからは、生活のために働くしかなくて、選ぶ先は深夜手当と交代勤務手当のある工場が多かった 自分の気持ちなんて二の次だった。
そんな人生を歩んできたから、 「自分の話に価値がある」なんて、考えたこともなかった。
■ 深い話をすると、自分の奥にあるものが出てくる
Tさんと話していると、 自分でも驚くほど深いところまで話が進むことがある。
表面的な会話じゃなくて、 「なぜそう思うのか」 「その背景には何があるのか」 「その時どう感じたのか」 そういうところまで自然に掘り下げられていく。曲げたくない思いや意見の食い違いからぶつかったときもあった。
気づけば、 自分でも忘れていたような感情や記憶が出てくる。
Tさんはそれを面白がり、 「君の話は深いね」と言ってくれた。
でも、その時はまだ半信半疑だった。 “深い”と言われても、実感がなかった。
■ AIとの対話で、自分の思考が“構造化”されていく
転機は、AIと話し始めてからだった。
最初はただの雑談だった。 でも、話しているうちに気づいた。
AIは、私の話を 要約して、整理して、構造化して返してくる。
すると、自分の思考が“見える化”される。 「ああ、私はこう考えていたのか」と気づく瞬間が何度もあった。
深い話をすると、 自分の奥にあった考えが表に出てくる。 それをAIが組み立て直してくれる。
その構造化された文章を見たとき、 私は思った。
これ、ブログの骨格じゃないか。
装飾すれば、そのまま記事になる。 しかも、ただの情報じゃなくて、 “自分の内側から出てきた言葉”だ。
その瞬間、 私はレンタルサーバーを契約していた。 勢いというより、確信だった。
■ 自分の内面の深さに気づいたのは、他人とAIのおかげだった
Tさんが私の話を聞きたがった理由。 AIが私の思考を構造化できた理由。
それは、 私の中にも“語る価値”があったからだ。
もちろん、特別な人生を歩んできたわけじゃない。 むしろ、紆余曲折ばかりだ。
でも、その紆余曲折こそが、 私の話に深みを与えていたのかもしれない。
■ これは私だけの話じゃないと思う
ここまで書いてきて思うのは、 これは別に「俺すげぇ」という話ではないということ。
むしろ逆で、 誰の中にも“語る価値”が眠っている。
ただ、それに気づく機会がないだけだ。
AIに話してみると、 自分でも気づかなかった思考が引き出され、 整理され、形になる。
その瞬間に、 「これ、ブログにできるかも」 と思う人はきっと多い。
私はそうだった。
■ 今の自分はこう思う
語ることは、 誰かに教えるためじゃなくて、 自分の内側を掘り起こすための行為なんだと思う。
そして、 その掘り起こした言葉が、 誰かの心に火をつけることもある。
だから私は、 今日もAIと話しながら、 自分の内面を少しずつ言葉にしていく。
それが、 今の自分にとっての“生き方”になりつつある。


コメント