― 氷河期世代の“世界の狭さ”から始まった物語
高校生だった当時の私には「進学」という発想が、そもそもなかった。 今振り返ると、それが私の“世界の狭さ”だったのだと思う。
父も母も高卒で働いていたし、周りの大人もみんなそうだった。 だから高校生の私は、疑いもなく「高校卒業 = 働く= 工場勤め」だと思い込んでいた。高校の就職相談室の求人ファイルには数多くの現場仕事の求人が並んでいた。
学校に内緒で原付免許、普通自動二輪免許と取得し、バイクいじりも好きで、機械を見ると仕組みが頭の中で自然と展開される。 そんな自分にとって、工場勤務は“最良の選択”だと信じていた。
勉強は嫌いだった。 英語が特に苦手で、遊んでばかり。 でも、機械は見ただけで理解できた。 「地頭は良いけど勉強は嫌い」という、よくあるタイプの高校生だったと思う。
そして私は、新卒カード を使って、地元の工場に就職した。バイク好きなら誰もが名前を知っている上場企業の地方工場だった。
当時は“氷河期世代”なんて言葉もなかった。 バブル崩壊が何なのかもよく分からなかった。 高校はマンモス校だったので、求人は多いものの、大手の就職先は成績順ですぐに埋まっていき、私は残った枠から選ぶしかなかった。
「知っているメーカーだから」という理由で選んだ会社が、実は民事再生中だったわけだが、やっと得られた就職先で当時は気にもしなかった。
■ 若さで無理が効いた、粉塵まみれの毎日
18歳、無事に新卒採用で就職した私は、毎日ガラス繊維の粉塵が舞う工場で働いていた。 軍手、腕カバー、マスクは必須。 刺さったガラス繊維で腕や首が痒くて眠れない日もあった。
フライホイール式の大プレス機、チップソーのカットマシン、ボール盤。 危険作業のオンパレードだったが、当時はそれが“普通”だと思っていた。
一か月働いて手元に残るのは10万円ちょっと。 「最低賃金よりはマシ」 そんな感覚だった。
バブル期の大人たちがどれだけもらっていたかなんて知らない。 比較対象がなかったから、安いとも思わなかった。
ただ、 「時間から時間までロボットのように作業するだけの毎日」 という虚無感だけは、確かにあった。
■ 心がぷっつり切れた日 ― バックレ退社の瞬間
会社は民事再生中で、コンサルタントが出入りしていた。 そのコンサルが入ってから、現場の作業が大きく変わった。
本来は二人で担当していた
- カットソー
- 大プレス機
この二つを、一人が移動しながら連続で行うように変更された。 前後工程が揃うため、同じ製品しか作れなくなる。
私はそのラインから外され、防衛庁向けの特殊作業に回された。 若さゆえの不真面目さもあったのだろう。 「お前はこっちでいいだろう」という空気を感じた。
ベテランの人と二人で黙々と作業する日々。 その単調さと孤独感が、ある日突然、限界を超えた。
ぷつん、と心が切れた。
無断欠勤。 そのままバックレ退社。
係長が家まで説得に来てくれた。 でも、当時の私はもう動けなかった。
逃げたのではない。 限界だったのだ。
■ S13シルビアと、若さの象徴だった“峠”
工場時代の思い出で、ひときわ鮮明なのが S13シルビア だ。 先輩から買った、ターボのKs。 当時の彼女とのデートカーでもあった。
この車が、私をドリフトの世界に引きずり込んだ。 若さの象徴であり、無謀さの象徴でもあった。
そしてある夜、峠で電柱に刺さって、シルビアはさよならした。 あの瞬間の衝撃は、今でも忘れない。
■ 「続けていたら年収500万」への“もしも”
今の同社の待遇を見ると、 「続けていたら年収500万くらいにはなっていたのかな」 と思うことはある。
でも、後悔はしていない。
あの労働環境で30年働き続ける自分は想像できない。 健康面の不安も大きかった。
むしろ、辞めたことで人生が動き出した。 転職を繰り返し、無職も経験し、セミリタイアに近い働き方にたどり着いた。
あの工場を辞めたことが、私の人生の“分岐点”だった。
■ 工場労働は合っていた。でも「若さ」には合っていなかった
今振り返ると、工場の仕事自体は嫌いではなかった。 むしろ、機械いじりが好きな私には向いていたと思う。
ただ、 18歳の若さに、あの環境は酷だった。
もう少し年齢を重ねていたら、違う働き方ができていたかもしれない。 でも、若さゆえの未熟さと、社会の厳しさが重なって、私は折れてしまった。
■ 今の私が思う「新卒カード」と人生の選び方
新卒カードは、今も昔も大切だ。 若さゆえの退職もある。 でも、今の時代は昔以上に再就職が難しい。
私の転職の繰り返しは、この工場退職から始まった。 遠回りもしたし、失敗もした。 無職も経験した。
でも、そのすべてが今の私の価値観につながっている。
- 会社に人生を預けない
- 健康が最優先
- 家族との生活が軸
- 学び直しはいつでもできる
- 人生は何度でもやり直せる
もし、この記事が誰かの心に刺さるなら、 同じ氷河期世代の誰かが「分かる」と思ってくれるなら、 それだけで十分だ。
■ 最後に
18歳の私は、世界が狭かった。 でも、その狭い世界で必死に生きていた。
あの頃の自分に言いたい。
「人生は長い。失敗しても、折れても、また立てる」
そして今、私はその続きを生きている。


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