最近、知人から婚活アプリの話を聞いた。 「写真とは別人な太った人が来たんだよ」と、苦笑いしながら言う。 その瞬間、私は思わず「それは流石に違うだろう」と感じた。
もちろん、本人の自由だ。 加工文化が当たり前になった今、 “盛る”こと自体は責められないのかもしれない。
でも、知人の話を聞きながら、 私はふと “就活の既視感” を覚えた。
◆ 婚活アプリは、まるで書類選考
アプリを開けば、 写真と数字が整然と並ぶ。
- 年収
- 学歴
- 身長
- 職業
- 居住地
まるで履歴書だ。 そして、そこから“書類選考”が始まる。
内面なんて、まだ誰も見ていない。 声も知らない。 歩き方も、笑い方も、沈黙の間も知らない。
それでも、 「不採用」 のスワイプは一瞬で終わる。
就活で散々見てきた“線引き”が、 恋愛にも静かに入り込んでいる。
◆ 若さは「ポテンシャル採用」
就活では、新卒だけが“ポテンシャル採用”だった。 能力以上の会社にも入れた。 若さというカードは強かった。
恋愛も同じで、 若い頃は“ポテンシャル採用”が効いた。
- 収入が低くても
- 将来が見えなくても
- まだ未熟でも
「これから一緒に作っていけばいい」 そんな空気があった。
でも年齢を重ねると、 恋愛も“即戦力採用”に変わる。
- 安定しているか
- 稼げるか
- 生活力はあるか
まるで中途採用の求人票だ。
◆ 順応できなければ脱落する構造
昔の恋愛は、もっと“現場採用”だった。
- たまたま隣に座った
- たまたま話が弾んだ
- たまたま一緒にいて楽しかった
そんな偶然が恋愛を作っていた。
でも今は違う。 構造に順応できる人だけが残る。
- 加工文化に適応できる人
- 条件検索に強い人
- 自己PRが得意な人
- 数字で勝負できる人
就活と同じだ。 仕組みを理解し、使いこなせる人が“合格”する。
◆ それでも私は、こう思う
私は写真や文字で判断したくない。
直接会って、空気を感じて、 その人の声や間や、沈黙の温度で判断したい。
一緒にいて楽しい人なら、 無職でも、低身長でも、太っていても、 それでいいじゃないかと思う。
好きになれるなら、 後からふたりで解決していけばいい。
婚活市場が就活化していく中で、 “人を見る力” がどんどん失われている気がする。
構造は変わらない。 だからこそ、知っておくことが大事だ。
でも、 人と人が出会う本質は、 数字でも条件でもなく、 「一緒にいたいと思えるかどうか」だと、 私は今でも信じている。


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