【50歳の挑戦記録】
コラムの種が芽を出し始めた日
前回の記事を書いたあと、ふと気づいたことがある。
私はいま、日常の中で起きた小さな出来事を、自然と“言葉の種”として拾えるようになっている。
以前の私なら、ただ流れていくニュースや、友人との何気ない会話に、こんなふうに立ち止まることはなかった。
仕事に追われていた頃は、気づきそのものが生まれなかった。
心の余白がなければ、思考は芽を出さない。
それがようやく分かってきた。
50歳になり、無職になり、軽い物販に生活を支えてもらいながら、
私はようやく「自分の声」を聞けるようになった。
その声は大きくも派手でもない。
むしろ、日常の片隅でひっそりと芽を出すような、小さな気づきだ。
けれど、その小さな芽を見逃さずに拾い上げられるようになったことが、
今の私にとっては大きな変化だと思う。
文章を書くという行為は、
誰かに向けて発信するだけのものではない。
自分の内側にあるものを、そっと外に置いてみる作業でもある。
置いてみることで、初めて気づくことがある。
そして、その言葉がいつかどこかの誰かの心に触れるかもしれない。
そう思えるだけで、今日もまた“コラムの種”を拾いたくなる。
まだスタート地点に立ったばかりだけれど、
こうして一つひとつの気づきを言葉にしていくことが、
50歳からの私の挑戦を確かに前へ進めてくれている。


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